杉浦和子の世界、衣・食・住・人の旅|古布の服・襤褸・酒袋・パッチワークの販売

古布の服や酒袋・襤褸、材料やパッチワークの販売

アトリエ和 襤褸 神奈川 横浜市 大和市

プロフィール

私は、古布を全国から足で歩いて収集し、服をデザインし、作品を作っている杉浦和子と申します。北は北海道から南は沖縄まで作品展を開催しております。おかげで全国の美味しい食べもの、市場、人、自然の風景、地方の街など、多くの感動、感激そして人の出会いがあります。その情報を皆様にブログを通じてお知らせしたいと思っています。日本だけでなく世界の情報も。杉浦和子の日本、世界の衣、食、住、人の旅にご期待下さい。楽しい発見がきっと見つかりますよ。

最近の記事 月別アーカイブ

この野良着は、秋田で、収集したもの。野良着は、からだの汗を吸収して、泥などにまみれて、土臭くなっていく。汚れては洗い、破れたところを繕っていくうちに、こうした木綿本来の肌に馴染む風合いが生まれてくる。藍の色もどんどん冴えてきて来る。 私がこのような野良着を素材にした服を作ることは、奇跡ともいえます。

2012年9月6日(木)

山形で収集した、荒い刺し子の野良着からリバーシブルのベストを作りました。裏はは緑の筒描唐草模様の風呂敷を使い、どちらも着れるようになっています。これは野良着でも山着(やまぎ)といって山で作業をする仕事用のためのもの。裂き織りや刺し子をすることによって厚地にしてイバラ、漆、ハゼなどの植物やマムシ蚊、毒虫から身を守っていった。用の美。

2012年9月6日(木)
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古布藍絣花縞柄・古布藍筒描。

2012年9月5日(水)
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古布藍筒描桔梗紋。

2012年9月5日(水)
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古布藍筒描・古布藍無地。

2012年9月5日(水)

この野良着はビロードのようになっていました。故意に作ろうとしても、決して出来ない襤褸の枯骨の美である。先人たちに敬意を払います。裏はイタリアフレンツエのビロードより。

2012年9月5日(水)

この、野良着は秋田で手に入れたもの。そんな遠い昔でなく昭和35年位までは、日本中、このような木綿の野良着であった。日本は、このころから化学製品の勢いに拍車がかかり、木綿の野良着、重い綿の入った布団は嫌われ、廃品回収に出され、捨てられていった。便利さと引き換えに、衣食住すべてが中途半端に欧米化されていった。先人たちの手仕事を卑下し、評価しなくなっていった。襤褸の中に美学や文化などないと思っている人に、私は先人たちの遺品に代わって語りたい。この誇らしい野良着を見てください。野良着とは袈裟衣と荷と人間が一体になった美しさを持っているのです。

2012年9月5日(水)

2012年9月4日(火)

この刺し子は、まるで蟻のように細かく刺してある。しかも、気の遠くなるような縦刺しの刺し子である。縦刺しとは、反物10数メートルを縦に刺していく技法で、最も根気を要する。東北の地方によっては、婚礼の時に最低でも長着7枚用意する所もある。そして、その刺し方を披露し、雑な刺し方をしているものを持参すれば、その家はいい加減な家と評されたりもした。婚礼の財産的なものとされた。

2012年9月4日(火)

このコートは、刺し子の野良着2枚を合わせて、やっと1枚のコートに仕上げた。リバーシブル仕立て。

刺し子について  木綿が 貴重だった時代には、衣服を長持ちさせる方法が考え出された。特に棉花の育たない寒冷地東北地方では寒さに耐える衣服を用意しなければならなかった。木綿地を2~3枚重ねて木綿糸で刺していく方法を刺し子という。雪の季節が長く、家の中に閉じ込められ長い時間を囲炉裏を囲みながら手仕事としながら過ごした。野良で働くことができなくても、家の中でしなければならない仕事はたくさんあった。このような細かい刺し子が完成するまでに気の遠くなる作業を先人の女性たちは家族のためにやっていた。東北人の粘り強い気質が生んだものでしょう。

マリア書房 襤褸に生きる より

2012年9月4日(火)
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