東京新聞「筆洗」より・2014・9・29|杉浦和子の世界、衣・食・住・人の旅

古布の服や酒袋・襤褸、材料やパッチワークの販売

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プロフィール

私は、古布を全国から足で歩いて収集し、服をデザインし、作品を作っている杉浦和子と申します。北は北海道から南は沖縄まで作品展を開催しております。おかげで全国の美味しい食べもの、市場、人、自然の風景、地方の街など、多くの感動、感激そして人の出会いがあります。その情報を皆様にブログを通じてお知らせしたいと思っています。日本だけでなく世界の情報も。杉浦和子の日本、世界の衣、食、住、人の旅にご期待下さい。楽しい発見がきっと見つかりますよ。

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<山の動く日来る。かく云えども人われを信ぜじ><すべて眠れし女今ぞ目覚めて動くなる>

女性初の衆院議長を務めた社会党の委員長だった土井たか子さんが亡くなった。

冒頭の詩は与謝野晶子の「そぞろごと」の一部である。

1911年(明治44年)日本発の文芸誌「青鞜」の創刊号巻頭に掲載された百三年前である

。当時、女性の地位は低く、選挙権はもちろん、集会の自由さえ認められていない。

詩が訴えたのは、押し黙る女性たちのめざめだった。八九年の参院選で社会党大勝を

導き、自民党の過半数割れを実現した。その時「山が動いた」は晶子に詩が念頭に

ある。あの参院選では、土井ブームで大勢の女性が当選した。動かしたのは自民党と

いう巨大な山と、女性の地位向上というもう一つの山だった。土井さんは、茨木のり

子さんの詩「私が一番きれいだったとき」を愛していた。茨木さんと同じ世代の土井

さんも戦争で「きれいだったとき」をうばわれた。平和という山は動かしてはならぬ

。「平和憲法と結婚した」といってのけた人の願いであろう。

 

 

● わたしが一番きれいだったとき        茨木のり子

 

わたしが一番きれいだったとき

街々はがらんと崩れていって

とんでもないところから

青空なんかが見えたりした

 

わたしが一番きれいだったとき

まわりの人たちが沢山死んだ

工場で海で 名もない島で

わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

 

わたしが一番きれいだったとき

誰も優しい贈り物を捧げてはくれなかった

男たちは拳手の礼しか知らなくて

きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

 

わたしが一番きれいだったとき

わたしの頭はからっぽで

わたしのこころはかたくなで

手足ばかりが栗色に光った

 

馬わたしが一番きれいだったときわたしの国は戦争で負けた

 

そんな馬鹿なことってあるものか

ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

 

私が一番きれいだったとき

ラジオからジャズが溢れた

禁煙を破った時のようにくらくらしながら

私は異国の甘い音楽をむさぼった

 

私が一番きれいだったとき

わたしはとてもふしあわせ

わたしはとてもとんちんかん

わたしはめっぽうさびしかった

 

だから決めた できれば長生きすることに

年とってからの凄く美しい絵を描いた

フランスのルオー爺さんのように ね

 

※ 茨木さんは15歳で日米開戦を、19歳で終戦をむかえた

2014年9月29日(月)
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